東北大学 歯学部

まずは、私の受験勉強について書きます。

 私はこの塾に入塾したときから漠然と医者になりたいと思っていました。特に理由はありませんでした。あえて言うとするならば、父親が医療関係だったことくらいでしょうか?
 そのまんま共栄中学校に入学し、目標もフラフラとしながらも何とか勉強をしている状況でした。

 中3から高1までの間に身の回りでトラブルもあり、全く勉強が手につかず、夜も眠れない、授業にも集中できない、やる気も起きない…。最悪の時期がありました。
 共栄内部生なら分かると思いますが、この塾では中3から公立高校の一学年上の先輩方と同じ授業を受けることになります。私は運良く最高の先輩方と巡り会うことができ、塾にいる間は嫌なことを忘れることができました。
 少しでもその間に勉強しようと、自習スペースに住み着くようになりました。なんとかくじけずに勉強を続けることができたのはそのおかげでした。

 高3になり、先輩方も卒業していかれ、いよいよ受験が私の番に回ってくると、今度は体調不良が続きました。
 もともと頭痛持ちだったのですが、その頻度はひどくなるばかり。母親は私の健康のために少しでも薬を飲まないで欲しい。私は少しでも早く薬を飲んで頭痛を抑えたい。こっそり薬を買ってはバレて、何回も怒られました。

 真面目に勉強だけをしているような性格でもなかったので、髪を染めたり、ピアスを開けたり、パーマをかけたり、化粧をしたり…(指導部にも引っかかりました)と、高2までは勉強に対する姿勢もグラグラでした。
 いざ高3になってふたを開けてみると、偏差値は伸びない、下がる、判定はEのまま…。身から出た錆ですが、ひどかったと思います。正直に言うと夏休みが終わるまで受験生の実感は全く湧きませんでした。
 夏が過ぎるとさすがにヤバイと焦るのですが、気持ちだけが焦って学力は全然追い着いてこない。医学部を目指してるなんていう自分がひどく厚かましいと思いました。志望校の欄に書いているのを先生方に見られるのも恥ずかしいのと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 秋頃の面談で、去年の先輩のデータと見比べ、まずは推薦入試から受けようという話になりました。
 二段階選抜になっていて、第一段階の自己推薦文は東先生の全面プロデュースにより通過。しかし、第二段階では惨敗でした。
 理由はもちろんのこと学力不足。それと己の甘さ加減だと思います。色んな面で自分がいかに甘い考えをしているかを思い知らされました。

 そしてセンター一ヶ月前、それはもう必死で勉強しました。それまでに受けていたセンター模試の結果があまりにもひどかったからです。
 化学も生物も基礎がしっかりしていないもんだから、最初から全部やり直しました。その時は、この一年この勢いで勉強していたらな…、という後悔ばかりがよぎりました。
 センターの結果は前期に受けたところを見ていただけば分かる通り、目標には全然とどきませんでした。90%目標で結果は78%…さあどうしようかということになりました。
 漠然と今まで医学部を目指してきたものの、趣味が学校の生物の授業を通して、監察医や基礎医学系の研究職に就きたいと考え始めていたので、ここに来て医学部を諦められなくなっていました。
 しかし、そのまま医学部に特攻するとなると、わずかでも合格できそうな確率のある大学は島根大学の医学部で、それでも20点分の借金を背負うことになるということでした。
 受験科目は英語と数学のみで、これを幸いとして受験に臨む人もいるかと思います。しかし、残念なことに私は英語がとても苦手でした。苦手だの何だの言いながら70くらいはあった偏差値が、一番最後の記述模試で50に突然落ちました。
 森口先生は事故だと言ってくれたのですが、これこそが自分の実力なんだと思い、英語を見るのが怖くなり、それ以降全然英語の対策をしていなかったのです。
 そして今年は医学部受験を断念しようという結論に至りました。

 医学部を諦めるのはいいとして、じゃあどこを受けるんだというのがこれまた大変でした。医学部は他の学部とは違い、大学のレベルを下げるだけというわけにはいかなかったからです。
 最終的には出願〆切の二日前くらいまで揉めました。
①まずは学部を理学部にするか農学部にするか歯学部にするかということ。
②理学部、または農学部なら神戸大学、歯学部なら大学はどこか?

 理学部や農学部に回れば、最終的には基礎医学系の研究に近いことはできる。歯学部に回れば、うまくいけば司法解剖医の免許は取得できるかも知れない。
 かなり揺れましたが、歯学部を受けることで決着はつきました。次にどの大学にするのかというときに、親はセンターリサーチでA判定が出ている大学を受けて欲しいとずっと言っていました。しかし、その頃の私の心境は、今年の受験よりも浪人することに気が向いていて、別に歯医者になりたいわけでもないのになぜ安全圏を受けてまで歯学部に入るんだ?という考え方をしていました。
 そのままの気持ちを塾頭に伝えたところ、なら、受けて落ちても後悔のない大学にしよう、ということで旧帝大へと受験校を決定しました。

 出願を済ませてから国公立の受験までに私立も受験、同志社大学の生命科学部です。結果は不合格。ご丁寧に点数まで表示してくれました。
 原因は一目瞭然。英語の点数が80点しかなかったんです。200点満点のですよ?英語から逃げた結果がこれです。
 勉強したことは結果に反映されにくくても、しなかったことは本当にハッキリ目に見えるもんだと実感させられました。先生に結果報告を伝えに行くのが本当に怖かったです。

 その頃からもともと無かった自信がますますなくなっていきました。出願を決めたときは強気だったけど、受かる気がしませんでした。受かると思っていた同志社も落ちる始末…、「今年はもうどこにも受からないかも…」と覚悟しました。
 それでもこれ以上後悔だけはしたくなかったので、前期日程まで化学Ⅱや生物全範囲をやり直したり、一つでも多くの単語を覚えようと躍起になりました。

 受験日程は2日間で、一日目の一教科目の英語。去年まであったはずの会話文の穴埋め記号問題が無い!!それどころか、見渡しても一つとして記号問題はありませんでした。解答用紙もひたすら棒線が引っぱってあるだけで、和訳、英訳、筆者の考えを日本語で、あなたの考えを英語で、ばかりです。
 これは駄目かな?そう思いました。それでもここで諦めたら試合終了、しがみつくだけしがみつこうと必死に…。

 合格発表の日は生きている心地がしませんでした。朝から部屋のパソコンの前とトイレを行ったり来たり。いざ発表の午後3時になってアクセスすると皆が一斉にアクセスするので、「接続できません」のメッセージ。結局見られたのは4時を回ってからでした。
 落ちるのに慣れてしまっていた私は自分の番号があることが本当に信じられませんでした。本当に受かっている自信が無くて、受験票をもって塾に。
 塾のパソコンで先生と一緒に確認して、番号を見つけて叫びました。もう嬉しくて嬉しくて、涙が止まりませんでした。当時自習スペースにいた人は分かると思いますが、相当泣いていました。

 自分の力で大学に受かる喜びがこれほどの事とは思いもしなかった。おそらく自分の人生で一番幸せで、一番自分に自信を持てた瞬間じゃないかと思います。
 後輩の皆もこの瞬間を掴み取るために頑張って欲しいと心から思います。

次に後輩達へ
アドバイスを箇条書きにしてみます。
・その場限りの勉強をしないこと
・今日の勉強を明日へ繋げるよう精一杯意識すること
・単語の学習はお早めに(正直言って、私はセンター前からシス単第一章も全部覚えてませんでした。結局二次試験前も第二章までいきませんでした。)
・自分の模試の結果は素直に受け止めること。(私は現実逃避してアニメを見ていたときがあります。その時間は無駄だったとハッキリ言えます。)
・どうせなら模試の結果はおおっぴろげにして後戻りできない状況に自分を追い込むこと。
・良き友人と励まし合うこと
・整理整頓はきちんとすること(私は部屋がものすごく汚いので、一冊のノートを探すにも半日かかることもありました。そうなると面倒です。)

今年受験生になる人達へ
・とりあえず最後までしがみつくこと
・先生方のアドバイスをしっかり聞くこと
・進路についての自分の考えはどんどん相談すること。尻込みして後悔するのは自分
・センター対策は長い目で見てお早めに(直前対策は生きている心地がしません)
・不合格が続いても希望を捨てないこと
やっぱり最後に
・諦めないこと

 自習スペースも最近本当に人が増えてきて、私の時より皆ずっと頑張っていると思う。皆からすれば、おしゃべりでなれなれしい先輩だったかも知れないけど、皆と話すのは本当に楽しかった。
 最後まで諦めないで、第一志望の合格を掴み取って欲しいと心から思います。がんばれ!!!!

そして、お世話になった先生方へ

花田先生へ
 冬期講習会の時にちょっと見てもらっただけでしたが、厳しかったです。でも普段は冷たそうで実はちょっと面白くて、色が白くて、長めの靴下はクロネコヤマトの宅配のお兄さんのチラッと見えるくるぶしの骨の次に好きでした。

林田先生へ
 直接授業を持っていただいたことは無かったのですが、Plus教室や自習スペースで時々冗談を交えて話しかけて下さいました。何気ない話をしながらも、私が体調や勉強面で悩んでいるときでも励ましていただいて、心の救いになりました。

田中先生へ
 小学6年生の社会から始まり、中学2年までの英語を担当していただきました。担当の授業がなくなってからも、しょっちゅう声をかけていただきました。模試の結果が悪くて凹んでいるときも、先生のあの少し大きめの声で笑ってもらえるとまた次は頑張れそうな気がする、そう思えました。
 林田先生もそうですが、前期直前はPlus教室に入り浸り、迷惑もかけたことと思いましたが、本当に良くしていただきました。先生の笑い声は癒やしでした。

片山先生へ
 高校数学のアクセルコースだったとき担当していただきました。当時私は勉強が手につかない状態が続いている時期で、理解力も乏しく、高校ゼミの宿題も辛かった時期でした。やる気もどんどん無くしていく中で、質問に行った時、分からないばかりで半泣きになっていた私に自分の体験を交えながら優しい言葉をたくさんかけていただきました。
 暖かい気持ちでいつも接していただき、話すとホッとすることが何度もありました。

桐村先生へ
 理科の記憶については、本当に短期記憶型のな私に最後までたくさんの事をアドバイスしていただきました。授業中も曖昧な記憶だらけで、先生のご期待に沿えるようなことは無かったと思いますが、受験校を東北に決めてからも問題を見て作戦を一緒に練ってくれたり、浪人すると言い出した私に自分の体験談を元にした話しを塾が閉まる11時過ぎまでしてくれました。
 それから、A型のくせにノートまとめが苦手な私にとって、先生の黒板は非常に見やすく、あとでノートをまとめ直す必要が無いほど綺麗で助かりました。
 授業の合間にするちょっとしたお話しも大好きでした。

東先生へ
 入塾時からずっと国語の担当をしていただきました。小学校の頃は良く怒られていた覚えがあります。推薦入試の時は忙しい中、自己推薦文を一緒に練っていただいたのに、二次でモノにすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 先生の国語力はピカイチです。学校の授業なんかクソ喰らえと思えるほど受験に役立つ知識が盛り込まれた授業を受けさせていただきました。
 毎日クルクルと変わる服装や髪型も毎回の授業の楽しみでした。私が小学校の頃に穿いておられたミニスカート姿を最近見ることができないのが残念です。授業も、7年たっても全然変わらないスタイルの良さも好きでした。

森口先生へ
 同志社に落ちて英語の問題を私自身の書き込みもそのままに見てもらったとき、「問題が不向きだっただけで、英語力が無いわけじゃ無い。自信を持って取り組め。」そう言っていただいてどれだけ救われたでしょうか。そのおかげでくじけずに英語の勉強を続けることができました。
 急に東北を受けるとなったときも、毎日のように英作文を見ていただきました。英作文を書く練習などしたことの無かった私の作るものはさぞかし稚拙なものだったと思いますが、本当に細かいところまでアドバイス等を書き込んでいただき、本番でもなんとか書ききることが出来ました。
 英語のできもイマイチ、伸びもイマイチな私ですが、先生の授業があったからこそ、ここで踏みとどまれたのだと思います。英語は苦手でも先生の授業は大好きでした。単に英語だけでは無くて、雑学や一般常識がこれでもかというほど詰め込まれた授業で、社会に出てからも役に立つようなことをたくさん学びました。

塾頭へ
 何から書けば良いのでしょうか。しばらく手を止めて考え込んでしまいました。本当に何から書けばいいのか分からないほど書きたいことがたくさんあるんです。
 初めて授業をもってもらったのは中学1年の数学の時です。第一印象は、なんて怖そうな先生だろうというものでした。その印象は外れておらず、先生は怒ると本当に怖いです。怒鳴られると椅子に座っていたお尻が数センチ浮き上がるほど怖いです。
 でも、それ以上に本当に生徒のことを考えてくれる誰よりも優しい先生です。トラブルが起きて勉強がやりづらくなったときも、伸び悩んだときも、偏差値が下がり続けたときも、親と喧嘩したときも、体調が悪いときも、いつも、ずっとずっと、この7年間支え続けて下さいました。どんな時でも親身になって相談にのったり、一緒に悩んだりしてくれました。
 授業の合間に先生が煙草を吸いに外に出るとき、傍でご飯を食べながら家では言いにくいことをポツポツもらしたり、弱音を吐いたりもしました。夜遅くまで質問することもありました。電車の時間のために帰宅したときも質問した問題の解答を解説をたくさん書いてFAXで送っていただいたこともあります。
 先生には散々迷惑や心配をかけたと思います。手のかかる生徒だったと思いますが、先生の一言一言に励まされ、勇気づけられ、ここまで来られたんです。
 本当に、本当にありがとうございました。

奥さんへ
 塾頭同様に迷惑や心配をたくさんかけたと思います。耐えきれなくなった気持ちや、誰にも言いたくないような悩み事など、本当に親身になって聞いてくれました。
 受験のストレスや不合格が続き、前期直前で気持ちが完全に折れそうになっていたときも頭を撫でて、「大丈夫だよ」と、言ってもらったときは張り詰めていた糸が切れて、涙が出そうになりました。あれが自習スペースでなかったら、きっと大声で泣いていたと思います。
 毎日ちょっとした他愛ない話をすることも大好きでした。
 元気で明るくて、優しくて、暖かくて、それでいて時々厳しさも見せる、まるでお母さんのような大きな存在でした。

 入塾してから7年。家にいる時間より塾にいる時間の方が長かったんじゃないかという私にとって、ここは本当にたくさんの思い出が詰まった大切な場所です。
 もう通わないなんて事が信じられないほど。

 初めて授業を見学に来た日が本当に懐かしいです。

 この7年間、お世話になり、本当にありがとうございました。