神戸大学 国際文化学部

合格体験記を書くことにちょっと憧れを抱いていたので、無事書くことができて嬉しく思います。だけど、いざ書くとなったら何から書けばいいのか分かりません。

 では初めに、志望校決定について書こうと思います。
 私がしっかりとした第一志望を決めたのはセンター後でした。模試に書いていた志望校を一年生の頃のものから思い返してみると…栄養系→住居学系→神戸発達科学の人間環境→神戸の国際文化…そして、神戸の国際文化と最後まで迷った2つの大学!(以下A大、B大とします)
 三年間で模試に書いた大学・学部はざっと20はいくと思います。二年生の6月の面談で塾頭に『君はふわふわしてる。』と言われて、『ふわふわ?ふわふわちゃうやろ~』とか思っていました。今考えたら、ふわふわ意外の何ものでも無いですね(笑)。その時は、まだ住居系を一番に考えていた時期だったので、その後の方がふわふわ、ふわふわし続けました。
 住居系をやめた頃から塾頭には何度か相談にのってもらいました。ですが、『寒いのは嫌だ』 『女子大は嫌だ』 『田舎は嫌だ』と、わがままを言い、呆れられていたことと思います。しかし、A大の社会学部は魅力的でした。塾頭が授業中に難しいとおっしゃっていた大学を提案してもらえたのも嬉しかったです。結局、ハイリスクな受験になりそうだったので、センター後に選択肢から外しましたが、その大学の実戦模試でC判定がもらえて、難しいと言われるA大の数学で二問完答できたのは嬉しかったし、センター後に二次試験の勉強をしていく上で、内に秘めた自信となりました。あんなに難しい大学を提案して下さった塾頭に感謝です。

 志望校決定までの道のりに話を戻したいと思います。最終的に残った3つの選択肢がでてきたのは、3年の夏休みだったかと思います。2学期ともなると(いや、1学期からだったかも…)模試を見せるたびにいろんな先生に『どうするんや?いい加減決めんと…』と言われました。6月の面談のの時には、私自身あまり焦っていませんでしたが、11月の面談の際は面談までに決めようとしました。でも、ダメでした。結局、優柔不断を貫き、センター後も大いに悩みましたが、ふわふわと悩み続けたことに一切後悔していません!!迷惑をかけたと思いますが、後悔はしていません!この大学・学部を受けて、そして合格できてよかったと思っています。
 正直、『旧帝大のB大学を受けた方が良かったのでは…』と勉強中に考えて苦しいこともありました。ですが、やっぱりB大学ではなく、神戸にしてよかった!!しつこいほどランクを無視して第一志望に書き続けた大学でしたし。こんなにも優柔不断な私を見捨てないでアドバイスをくれた先生方、特に塾頭と森口先生、ありがとうございました!


 私は結局、神戸大・国際文化部を前期で受けることにしました。センターリサーチの判定は、確か河合塾がA判定で、よく覚えてないけど他の2社もB判定以上だったし、塾頭にも『普通にいけば大丈夫だ』と言われていたので、追い込まれること無くある程度余裕を持って勉強を進めることができました。しかし、A判定なりにプレッシャーを感じたのも事実です。『大丈夫、大丈夫』と思ったら、おごりにつながりそうで怖かった…『もし落ちたらどうしよう』と思いながら、『大丈夫』と心の中で思い続けました。その頃、ワイドショーで言われていた”マインドコントロール”が本当にピッタリな言葉やなと思っていました。以前に先輩方の体験記で精神力の大切さについて書かれていましたが、それを実感しました。

 当日は、緊張らしい緊張はしませんでした。たぶん!第一科目の英語が終わって、何とも言えない気分でした。第二科目は数学でした。私は赤本を解いても手応えを感じていたし、国語をカバーするために密かに完答狙いでした(今となっては恥ずかしい)。結構ウキウキな気分で休憩時間を過ごしました。始まりました…。第三問を見た瞬間、「この問題!!!!!!!!!」 「やばいっっっっっ」1つ学年が下のバタビアの子達と一緒にスタンダード数学の授業を1月以降も受けさせてもらっていたのですが…、ちょうど一週間前に同じ問題をやっていたのです。有頂天です!…………だけど全く思い出せない(T-T) 自分の不甲斐なさでいっぱいになりました。『塾頭に合わせる顔が無い』…解答用紙が回収されるときに後ろの人の解答が見えて、その問題の所に書いてあるのが見えたので絶望的な気分になりました。(その人は受かっていたけど、たった一人の人が自分よりできてそうだったからといって悲観するのは本当にダメでした。)
 第二と第三の間の休憩時間はしんどかったです。
 泣きたかった。
 他の人が友達としゃべって、笑ってお弁当を食べている光景が信じられなかった。
 何も信じられなくなりました。塾頭が『大丈夫、自分がイチバンやと思っていってこい!』と言ってくださったこと、森口先生が英作文の添削と一緒に書いてくれた力強いコメントも、東先生が十分戦う力があると言ってくださったことも…。本当に何もかも…。
 それまで全てを合格する前提で考えていました。『合格体験記は何書こうか?』とか、『いつ神戸大のシールを買おう?』とか…(笑)ですが、その時落ちる未来しか考えられなくなりました。『落ちたら合格体験記って言わんやんな…不合格体験記?』…『でも後期受かったら合格?』とか…『いつ落ちたことの報告を塾にしに行こう?』…『昼間に行ったら、受かった人に出会いそう?』とか………でも、その時に「私こんなに国文に入りたかったんやー」と思えました。他の大学(B大学)じゃ無くてよかったと思えました。
 これまで『数学が武器になってくれとるし、国語は半分近くとれたらいいや~』と思っていましたが、そうもいかなくなったので、『あかん!国語でちょっとでもとらんと!』と自分に言い聞かせました。必死にいろんな先生方の言葉を思い返して、『受かる!』と思うようにしました。国語は、現代文は赤本と変わらず…意味不明と思いながら解き、古文も表現問題が出ていたので『知るかっ!』と思いながら、漢文は…記憶に無い…でも、東先生に量をこなすことが重要だと言われていたので、少しでも書くことを心がけました。現代文の最後の140字記述も『部分点だけでも!』と思い最後の方は字数が足りなくて無理矢理まとめたけれど、それでも書ききりました。古文の表現の問題は、本当にカンで途中までしか書けませんでした。しかし、一応どの問題も何かしら書きました。あんなに書けたのは、赤本を解いていても無かったので満足しています。内容は知らないけど…このように私の前期試験は終わりました。

 私は前期試験を受けるまでは、「前期終わったら、後期の勉強しながら遊ぶ。」と言っていました。友達は「合格発表まではそんな気になれん」と言っていたけど、実際その友達の言葉通りになりました。しょっちゅうため息をついて、親子して後期の大学周辺の物件を調べていました。正直、『後期でもいいかな?』と思い始めていました。
 数学ダメ、国語もダメで唯一の希望だった英語の新聞に載っている模範解答を『絶対見ない』と言っていながらできてるという希望を持って見てしまって、選択問題が結構間違っていたときは本当に絶望でした。
 ダメージが大きく、前期試験の翌々日に、友達と塾に行きました。『たぶん落ちた…』と言って、塾頭の奥さんに励ましてもらい、森口先生には怖くて見られなかった今年の問題の難易度を『難しかった』と教えてもらい、塾頭には『期待して待っとる』と言ってもらい…塾に行って話しを聞いてもらったことで少し吹っ切れて、気持ちが楽になりました。本当に今思えば人騒がせだなと…(笑) でも、いい思い出です。
 発表の直前になってくると根拠もなく、と言うよりムリヤリ根拠を作って『受かる』と信じ切りました。発表の2時間くらい前からお腹が痛くなったり、吐き気を感じたりと…しんどかったです。5分くらい前からは、落ちたときの衝撃がちょっとでも小さいように好きなアップビートめの音楽を聴いて、その時を迎えました。番号があったときは、ただ普通に「あったー」って言いました。本当によかったです。嬉しいというより安心したと言うのが率直な気持ちでした。でも、本当によかった。
 塾頭には、センター後の出願校を決定するとき、『この大学は他の2つの大学ほど受かったときの喜びは無いで。』と言われていました。私も実際前期を受けるまではそうだと思っていました。ですが、前期試験直後のあの不安と絶望感でいっぱいになった時期があった分、受かったときの喜びは想像していたより大きかったです。だから、落ちたと思い切ったのもよかったかなと思っています。(笑)


 国語は最後まで苦手で大嫌いでした。文系なのに…ハイレベル国語の授業の予習も勿論嫌いで、3年生の一年間はその予習を中心に回っていました。授業の時も随分ひどかったと思います。いや、ひどかったです。他の子には『何言ってるの?こいつ』と思われていたそうです。
 国語が嫌いで嫌いで仕方がありませんでした。2月がピークで、特に2週間前からはいつも『国語なんて嫌いやし~!でもあと○日!』と唱えながら、半分の時間を国語に費やしていました。

 神戸大学の現代文の問題は、最後の問題が100字から200字の問題なのですが、東先生に添削してもらっては『意味不明』と書かれる始末…。解答を書きながら、私も意味不明でした。前期の2日前に最後の解答を添削してもらって返されたとき、現代文の出来がヒドくてヒドくて、4つの記述問題のうち3つが全滅、最後の問題にかろうじて部分点が入っているくらい…10点中1点だったはず…堪えました(T^T) 神戸の国語は現代文:古文:漢文=80:40:30なんです。直前だったので、眠る前にも思い出すくらい引きずりました。今もう国語の問題と向き合うことも無いと思うと、本当に嬉しいです。

 数学と英語は気が付いたら得意科目にしてもらっていたような気がします。 
 数学は、塾に入ったのが中2の時だったので、それ以降、自然と数学が好きになっていって『得意だ』と思っていました。高校に入ってからは、高校の数学は難しいと言われていたので、恐怖を抱きながら勉強をしてました。クラスでイチバン理解していないというくらいベクトルの章末問題は解けなかったりもしましたが、なんとか乗り越えられました。1・2年の頃のことは忘れかけですが、3年生の頃は数学が楽しかったです。たまに低迷期が来て解けなくて、数学がしたくない時期もあったりしましたが、たいていの時期は楽しくて他の勉強の合間に息抜きとして問題を解いたりしました。受験勉強が終わった今では見たくありませんが、2次の直前は、数学とサヨナラなのが悲しいと思ったくらいです。私立入試でも二次試験でも数学は思ったよりできなくて、私を『落ちた』と思わせた教科でしたが、数学を武器と思えることは、勉強をしていても心強かったです。

 英語は、好きと思ったのは高3の授業が始まった頃でした。『場違いだ!怖い』と思って臨んだマスターオブ英語の初回の授業で和訳ができて、それで好きになりました。単純です(笑)少し難しい英文になったらすぐに嫌になっていましたが…得意と思っていたので、前向きな気持ちで英語に取り組めました。塾の英語は楽しかったです。

 
 もっと書きたいことがありますが、もう終わりにしようと思います。(まとまらない!)すごく読みにくい文章…(>_<)…やっぱり国語とか文章を書くのは苦手です。(+_+)
 こうやって書いてみると、自分の大学受験史のような感じになってしまいました。もっと塾のことを書くべきなのだと思いますが、こうなってしまいました。ですが、學進会で5年間授業を受けて受験勉強ができたことを嬉しく、誇りに思っています。

 こんな体験記ですが、少しでもお役に立てれば幸いです。
 私は、これから専攻を決めるときや、就活の時もふわふわすると思いますが、少しはふわふわを抜け出して、ガッチリになれるように頑張ろうと思います。(笑)

 5年間お世話になり、ありがとうございました。また、夏休みに『神戸大シール』を持って帰ってきます!


★塾頭へ★
 最初から最後までお世話になりました。正直、恐怖を抱きながら授業を受けていたけど、いつも楽しい笑える授業でした。こんな私につき合って話しを聞いて下さり、ありがとうございました。

★森口先生へ★
 先生も最初から最後までお世話になりました。英語以外にも社会常識を教えてもらい、大変有難かったです。英作の添削もほぼ毎日のようにしてもらい、ありがとうございました。

★東先生へ★
 今でも国語は苦手ですが、東先生がいなかったら私の国語は崩壊していたかも知れません。ハイレベル国語も意味の分からないことばかり言って、『~ですよね?』とか質問して、『私に聞いてるの?』と言わせてスミマセンでした。(>_<)ありがとうございました。

★片山先生へ★
 いつも優しく声をかけて下さり、『欲を出せ』と応援して下さいました。結局、欲を出したかは大いに疑問ですが…(笑)
 クリーム玄米ブランを食べる度に『いいにおいやな~』と言っておられたのもいい思い出です。ありがとうございました。

★桐村先生へ★
 模試を見せると、参考になるアドバイスをくださり、ありがとうございました。あんまり授業を受ける機会は無かったけど、お世話になりました。

★林田先生へ★
 最後の授業の話が面白かったのが忘れられません。Plus教室でも細かい要望を聞いて下さり、ご面倒だったと思います。ありがとうございました。

★田中先生へ★
 主にPlus教室でお世話になりました。林田先生同様、要望を聞いて下さり、ありがとうございました。
 中学のときの社会科の授業、面白かったです。

★塾頭の奥さんへ★
 いつも影ながら支えて下さり、ありがとうございました。2次試験の翌々日には特にお世話になりました。

★花田先生へ★
 マスターオブ英語の時お世話になりました。他の先生とは違った笑いって感じで面白かったです。ありがとうございました。