千葉大学 工学部

千葉大学☆塾頭の母校(やったぁー 後輩になりましたV)

 何から書けばいいか分からないから、自分の入試状況を少し。
☆第一志望大学の名前と理由とあれこれ…

★神戸大学…主に母の影響。(イメージ:オシャレ 笑)
      関西に住んで欲しかったらしい。
      関西では有名校!関東では?
      文系色が強いイメージ。

★筑波大学…学力的には3つの中で一番上?
      設備等は申し分なし。
      教授は変な人がいっぱい?(らしい)

★千葉大学…塾頭の母校。入ったら後輩になれる。(実はかなり魅力的)
      理系の学校だから設備もOK
      授業にもよく登場→オモシロそう。塾生なら共感してくれる人もいるはず。

 とまあ、こんな感じ。志望校が3つもあったんですよ。偏差値的にも入試の難易度的にもそれほど差が無いことから、結論を出さずにセンターの結果により決める手法をとりました。

 じゃあ、本文書いていきます。小学校、中学校と色々あったんですが、とても書き切れないので高校から書いていきます。

 高校1年の僕は、かなり遊んでました。イヤもう本当に恥ずかしいくらい。塾頭ら先生方は、大学受験の大変さを授業中や空き時間などで数多く語ってくださっていたんですが、当時の僕は、大変だと認識しつつも、どこかで受験というものを甘く見ていたんだと思います。

 ヤバイかも?っと思ったのは、2年生の夏あたりだったと思います。それというのも、何故か僕は1年に一度必ず大きな病気にかかっており、(中学のときはそんなこと無かったんですけど)
1年 新型インフルエンザ
2年 腸炎 
 この間に、英語の文法・漸化式&三角関数・モル計算の授業に出られなかった。(T-T)
3年 肺炎(死ぬかと思った 笑) 2週間くらい…長っ!!

 これまで難しいなぁ、と思うことはあっても、授業さえしっかりやっていれば、理解できなくはないし、やっていけば出来るようになる。というような感じだったんですが、今回は全く塾の授業を受けていなかったので、全然分からなくなってしまいました。しかも勉強したことがある人は分かると思うんですけど、上記の授業内容ってかなり重要だったりしたので、正直かなり焦っていたのを覚えています。
 模試でも上記の単元(数学)は、自分で勉強し、戦えるようになるまで、ほぼ0点をとり続けていたんじゃないかと思います。
 自分で勉強したと言っても、Plus教室を利用してのことなんですが…。数学は、わざと塾頭がPlus教室を担当しておられるコマに入れて、質問なんかもかなりの覚悟でするといったプレッシャーを自分にかけていました。

 これらより学んだことを挙げておきます。
まずは、塾の授業を休まないこと!(超重要) 基本だよね。
授業に対して自分の知識に遅れを感じた時、それに対する挽回は、絶対に早くしたほうがいい!→放置は絶対ダメ!!
 挽回していなかったら…と思うとゾッとする。
自分の学習環境にプレッシャーをかけることも大切。
 取り組む姿勢や進み具合、覚えていくスピード、知識の長期間保管に影響しているのかも…と、自分では思う。だから、「怒られるかもしれない。怒られないようにしよう。これを完璧にしよう!」とかも僕的にはアリで、そうやって自分で必死になって覚えたものってなかなか忘れないと僕は思う。

 本文に戻ります。2年生からスイッチを切り替えた僕は、それから塾の自習スペースを毎日のように利用するようになり、自習スペースにいないときに現れる、怠ける自分を出さないように努めていきました。それは3年生のセンター試験前日まで続きました。
 今思い返すと、センター試験前日は、自分が緊張しているのかどうか…よく分からないくらい緊張していたんだと思います。センター試験の2日間は、長いようで短いようで…よく分からない2日間でした。

 ちゃんと、1日目終了時に自己採点はしないというルールは守りました。

 地理は初めから苦手教科だったので、あまり良くない点でも「それは計算の内」って感じだったんですけど、本番で数学と現代文を失敗してしまいました。
 もう、受験している途中に分かるんです。『あ~ぁ。これちょっとヤバイかもしんない…』みたいなことが…。

 志望校から分かるとおり、僕はセンター試験で最低でも7割8分くらい必要で、目標は8割3分でした。
 ですが僕は完全に失敗してしまったので、7割ちょっとしかとれませんでした。正直、浪人を覚悟しました。

 自己採点で7割…。それは何回計算しても変わることはなく、第一志望校への道は完全に無くなった…と思いました。

 『2次試験で闘うことすら出来ないのか!?』と、悔しい思いで一杯でした。塾に結果報告しに行ったときも、塾頭に「何があったんや??」と、若干焦っておられたのを今でもハッキリ覚えています。

 『今年の僕の受験は終わった…』そんな風に思いながら過ごしていました。

 塾頭に面談をしてもらいました。センター終了後にセンターの結果を報告したデータを元に出願可能校をピックアップしてもらった紙をもらいました。
 説明を受ける中での塾頭のオススメは広島大でした。僕は思ってもみなかった所だったので、正直なところあまり気は進みませんでした。(センターは届いていないが、2次の実力を考慮すると可能性があった…らしい。)
 ピックアップしてもらった用紙をみていると、『千葉大』と書かれた紙がありました。僕は目を疑いました。『絶対に出願できないと諦めていたのに、まだチャンスが残されているというのか?』と、かなり気持が高ぶりました。
 しかし、センターの判定はD判定…2次の模試結果をドッキングしてもC判定…しかもD判定とわずかの差でした。塾頭の表情も言動もそれが厳しい戦いであることを示しているように感じました。

 諦められなかった僕は、学校の先生を説得し、何とか出願でき、私立大や2次試験に向けて勉強していくことになりました。

 僕は、立命館と東京理科の2つを受けたんですが、両方ダメでした。敗因は、過去問の解き不足だったんだと思います。私立は特に、学校ごとに傾向がハッキリと分かれるので、過去問をしっかりやっておくべきだと思います。

 私立を落ちていく中で一番辛かったのは、その試験のために動いてくれた親に何も返せないことでした。
 当然、お金がかかっている。時間もかかっています。沢山の色々なことをしてもらっているのに、不合格…。
 塾にも不合格の報告ばかり…。本当に申し訳ない気持で一杯で、前期の直前なんて、あれだけ塾に行っていたのにほとんど行けなくなりました。

 前期は前期で私立より分が悪い勝負をしなければいけなかったので、その時のプレッシャーといったら尋常なものでは無かったです。あのプレッシャーは、同じ状況になった人にしか分からないと思います。

 そして試験を終え、25日~4月9日の14時までという、もう気が狂いそうになる長い長い時を経て、結果発表をみました。

 自分の番号を見つけたときは、全く信じることが出来ないで、何度もページを開き直したり、弟に何度も何度も確認してもらったりしました。
 全身から力が抜け、手は震えて、顔は笑い、それまで感じていたプレッシャーからの開放感から涙があふれてきました。
 急いで父、母に連絡し、雨の中を塾まで全力でダッシュしました。
 合格の報告をすると、とても喜んでくださって、また涙が止まらなくなって…めちゃめちゃ泣きました。

 恐らく今年の入試で、あの状況にあったのは僕だけだったと思います。だから、この僕の喜びも僕にしか分からないと思います。受験に受かる喜びを実感した、最初で最後の瞬間でした。
 本当に嬉しかったです。

 最後に、僕の入試を支えてくださった方すべてに感謝しています。ありがとうございました。

塾頭・奥さん
 数学だけでなく、生活のアドバイスから受験のことまで、本当に親子共々お世話になりました。塾頭のオヤジギャグや奥さんの少しキツめのアドバイスが聞けなくなるのが少し淋しい(笑)

森口先生
 途中で入院?されて、『えっ?』って感じだったんですけど、元気に戻ってこられて良かったです。森口先生には一番かわいがってもらっていると、勝手に思っている僕でした。陽気な性格で親しみやすい森口先生が大好きでした。でも、模試の結果を見せに行くと怖いんだよね~(笑)

桐村先生
 単元によってブレブレの生徒で本当にすいませんでした。桐村先生に教えてもらった語呂は、少しアレンジを加えたりしながらちゃんと僕の財産になっています。正直、桐村先生がいなかったら化学は死んでいたかもしれません。楽しい授業をありがとうございました。『ハッピーターンの粉』探してきます。あと、物理の提出ノートは時効ってことで…許してください。(笑)

東先生
 多分僕が一番長くお世話になった先生です。小5の時から高3までずっと面倒をみていただきました。『東先生の言うとおりにすれば、必ず国語の成績は伸びます!!』国語に関しては、僕は東先生しか信じてません。先生の授業で国語はメッチャ伸びました。今、『オレ、国語はデキるで!』なんて言えちゃったりするのも東先生のおかげです。いつまでも変わらない東先生でいてくださいね。(笑)

林田先生
 林田先生は、『知っている人には面白い』ギャグを連発するので、一人でクスクス笑っていたのを覚えています。また、自習していると気さくに話しかけてくださって、受験のプレッシャーを少し和らげてくださっていた気がします。林田先生の雑学…また聞きたいです。(笑)

片山先生
 片山先生には、病気で休んだ分の授業の遅れを取り戻す学習をしている際に、かなりお世話になりました。『塾頭には怖くて質問できないような基本内容の質問』も優しく教えてくださって、本当に助かりました。いや、塾頭が優しくない訳じゃないんですよ。でも一回授業でやった内容を塾頭に質問するのって、勇気いるよね。(塾生なら共感してくれるはず。笑)罵倒される勇気のない僕を助けてくださってありがとうございました。

花田先生
 1年間だけだったけど、ふれあう機会が受験生の中では僕が一番多かったんじゃないかな~と、また勝手に思っているわけです。桐村先生が忙しいこともあって、化学の質問を花田先生によく聞いてもらっていました。年も近いし、気さくだし、オモシロイのでとても楽しく充実した時間を過ごさせてもらったかな?と思います。『数学を学んでいる人がいるからこそ、私たちの研究は成立しているのだ!』ということを忘れないよう、大学で勉強します。(笑)

田中先生
 田中先生は色々インパクトがありすぎですね。Plus教室では、かなり面倒をみてもらいました。地理のことで度々質問しに行くと、聞いてない内容までどんどん教えてくださって、これで1コマ授業が出来るんじゃないかと思っていたのも懐かしい思い出になります。(笑)でも本当に腹を割って、勉強だけでなく、色々なことを教えてくださいました。本当に感謝しています。ありがとうございました。

 7年間通い続けた塾を卒業するのは淋しいですが、希望する道に向かってこの塾で学んだことを活かして頑張ろうと思います。
 また帰ってきたら寄りますね。

これから受験生になるみんなへ
分からないことがあったら、何でも塾に聞いてみて。不安なことをただ話すだけでもいいと思う。ここの先生達は、みんないい先生ばかりだから、どうにかこうにかしてちゃんと助けてくれます。

 あきらめんなよ!! がんばれ!