大阪大学 基礎工学部

★はじめに★
 僕はかなり特殊な受験をした人間です。本来の僕は3年生の5月頃から私立大学を志望するようになって、早稲田大学の先進理工学部や慶應義塾大学の理工学部を目指していました。後述しますが…これらの内一つは合格…あとは不合格・補欠合格です。

 私立を目指すようになったきっかけも述べておきます。単純な理由なのですが、国語と社会が全然できなかった(というより、しなかった)ため、両親に頼み込んで私立を目指すことを許してもらいました。お金がかかることもあり、両親も苦渋の決断だったと思います。その決断には今も感謝しきれないです。受験にも国公立一年分くらいのお金がかかりました。

 以下は時系列順に進めていきます。

          ★学校のこと★

 ほとんどいい想い出がないです。早稲田に失敗した旨を伝えたあと『上智に受かったんだから行け』という主旨のメールが来たときは吐き気がしました。携帯を布団にぶん投げ、怒りをエネルギーに勉強しました。先生に悪気がなくても…あの時の僕にとってはダメージとなりました。
 好きな先生もいましたが、嫌いな先生もいました。テスト勉強は「点数がヤバイ」と思ったときを除いてほとんどしていないです。生徒には、先生に嫌われていることは分かるものです。『先生が生徒を嫌う…それは当然なの?』
 何回もサボったりしました。そのため塾の先生方に頼ることになるのは当然だったのかも知れません。

          ★塾のこと★

 學進会に入ることを決意したのは1年生の三学期の2月、もうすぐ2年生になるという時期でした。厳しい塾ということを前から聞いていましたが、同じクラスで仲のいい男の子の友達が二人通っていた塾であるため、入ってからもやっていけるかな?と思い決断しました。実は…入ってすぐの一年間は、ついていけなくて辞めたいと思っていました、自分が甘かっただけなので3年ではそうは思っていませんでした。むしろ入ってよかったと思っています。

 本当に入ることを決意したきっかけというのは、やはり「高校の勉強についていけない」ことと「中学校までの勉強とは全然違う」この2点でした。今だから話せることなのですが、僕は高1の全統模試で英語が200点満点中45点を取ったことがあります。そんな状況下、焦ってすぐに塾に連絡をとったわけです。

 高2の段階では普通に授業を受けて与えられた予習をするだけでした。そして時々復習をやったくらいです。記憶がほとんど無くて曖昧ですが…
 授業は英語FitとFit数学ⅠA、Fit数学ⅡB、数ⅢC、物理Ⅰ、化学Ⅰです。このとき国語と社会は放置していました。学校の授業もあんまり聞いていなかったような…英語は授業の予習復習に力を入れていましたが、英単語を全く覚えていなかったです(田中先生には英単語をしっかり覚えろと指導された) 2年終了時にシス単は100個くらいまでしか覚えていなかったです。今考えたら背筋が凍るレベルです。ただそれでもFitの田中先生のおかげで2年の最後には130点くらいはとれるようになっていました。

 高3からはなぜか意識が切り替わり、勉強に励むようになりました。授業がなくても塾の自習室に通い、ひたすら英単語を覚えたり、微分したり、重力と戦ったり、化学式を書いたり…要するに英数物化をやっていました。国語は東先生の授業が入ったため多少は勉強するようになったのですが…単純に教科が嫌いだったため、古典単語とかあんまり覚えてなかったです。授業中に名前伏せて叱られたのは今でも覚えています。たぶん僕だったと思います。。。ゴメンナサイ。
 授業はスタンダード英語、ハイレベル英語、ハイレベル英文法・口語表現、スタンダード数学、ハイレベル数学、数ⅢC、センター現代文、センター古典漢文、大学受験物理、大学受験化学をとっていました。先生方に選択を委ねましたが、自分に合っていたように感じます。

 少しどうでもいい話。高3の休日はひたすら寝ていました。最高で18時間睡眠をしたこともあります。ゲームも満喫していました。その代わり平日10時くらいまで塾に残って、電車で帰って、それからもチョコチョコッと勉強していました。僕の場合は極端ですが、休むときは休んで、ハメを外すときは思いっきり外した方がイイと思います。それが友達とごはんを食べに行くことであれ、彼女と連絡をとることであれ、何でもいいと思います。

          ★センター試験のこと★

 センター試験、私立志望の僕にはハッキリ言ってどうでもよかったのです。リラックスして受けました。前日なんてゲームをしてたくらいです。(絶対にやってはいけない) 結果…英数理では86%獲得し、運良く過去最高の点数をとりました。センター利用の明治、同志社、立命館は全て勝ち取ることができました。
 国語社会は共に4割台でした。さすがに全く勉強しないのもマズイので、現代文は授業の復習をしながら、東先生の考え方を頭の中で追いかけることにしました。そのおかげで現代文では6割くらいとれたんですが…古典で5点をとりました。(o_ _)o
 これは他の教科でもやりました。先生方の思考を追いかけ、真似ることで、自分のモノにしようと必死に努力しました。
(社会はマズイと思いながらも何もしませんでした。私立理系の人は倫理政経がお薦めです。点数がとりやすいです。)

          ★私立受験のこと★

 前述の通り、僕は3年になってからは早慶を目指していました。文系ならば早慶のみで受験日程を組むことが可能(学部ごとに分かれているため)なのですが、理系の学部は少ないので、他の大学も受けることを要求されました。日程に空きを少なくして、なるべく多く受けて早慶に備えた方が良いとアドバイスを受けていたので、とにかくたくさん受けました。
 私立は全部で12学部受けました。早稲田、慶應、東京理科、上智の4校です。18日間東京に滞在しましたが、とにかく精神的な疲労が一番つらかったです。受けた感触で落ちたor受かったということはすぐに分かりましたし…早稲田の試験では、終わったあと泣いていました。
 結果、早慶の理工学部だけ落ちました。すぐに自分を納得させ、早稲田教育に行く準備を進めました。

          ★2次試験のこと★

 3日間だけ2次試験の対策をしました。赤本を解いてもほとんどできなかったので、やる気を無くし、自分の好きな勉強だけやりました。数学は塾のテキストの行列のみを抜き出して、物理は波の問題だけを抜き出して解きました。他は直前に塾のノートを見直したくらいです。
 本番はとにかく…リラックスして解きました。英語の記述は全統模試を受けた12月以来なので、3ヶ月ぶりでした。必死だったので何を書いたかは今でも思い出せません。和訳は分からない単語が出てきたら自分の世界を繰り広げて頑張りました。ただ、どの科目も塾の授業で習ったことが活かせているという実感が感じられました。できたのか…できていないのか…複雑な気持ちでしたが、早く帰ってゲームがしたかったので、すぐに電車に乗って帰りました。

          ★合格発表当日のこと(大阪大学)

 朝八時に目が覚め、発表まで一時間も待てないので二度寝をし、8時55分に目を覚まして体を起こしました。発表のサイトを開いてもアクセスが集中しており、9時になってもいっこうにアクセスできる気配がなく…
 前述の通り、僕は本来私立志望であり、私立の全ての結果が出そろってからは早稲田大学教育学部に行くことを決めていました。国公立の方は言うなれば運試しのようなもので、結果にあまり期待はしていませんでした。なので、またあとで見ようかなと思っていたのですが、一本の電話が入ってきました。それはたまたまその時大阪にいた母からの電話で、発表のサイトが開けたとのこと、僕の受験番号が書いてあるとのことを伝えられました。

 そのあと、僕も泣きながら合格発表のサイトを確認し、自分の受験番号があることを確認しました。本当に嬉しかった。むしろ僕が受かってよかったのか?と、悩んだくらいです。

          ★最後に★

 塾の先生方、2年間お世話になりました。各先生と奥さんへのお礼の言葉は、これを提出したときに直接会って述べたいと思います。明石高専に落ちて共栄に行き、落ちぶれていたところから這い上がってくることができたのは間違いなくこの塾のおかげです。
 そして応援の言葉を投げかけてくれた後輩達、ものすごく励みになりました。君らのときが来たらそれ以上に応援する!!本当にありがとう。
 家族への感謝ももちろんありますが、これも直接いうことにします。

 また次は、何らかのお土産と共にここに帰りたいと思います。