京都大学 工学部

僕は小6の時、学校の成績がかなり悪く、授業についていくのさえしんどい状態でした。それを親が心配し、半強制的に學進会に入れられました。(笑)
 当時は、国語と算数のみの受講でしたが、当然学校よりもレベルが高く、ついていくのが必死でした。僕なりに頑張っていると、まず学校の成績が上がってきました。
 中学校の授業が始まり、一番始めに受けた塾頭の授業は、今でも忘れられないほど緊張感があるものでした。
 中学校の勉強が始まり、2回目か3回目の授業だったと思います。正負の数の計算をするとき、先生に習った方法ではなく、自分勝手な方法でやっていたので、「それでは先で通用しなくなる!」と、ひどく叱られました。さらに宿題ノートもその方法でやっていたので、またまた叱られました。
 今まで勉強で叱られたことなど無く、しかも塾頭に叱られたというショックもあり、それからかなり勉強にたいしてやる気が出たのを覚えています。それからは勉強量を増やし、少しずつ要領というものが分かってきました。そうしている内、成績は上がっていき、中学校の成績ではトップになり、高校入試もトップ合格することができました。

 高校の勉強が始まりました。「高校の勉強は大変だ。難しいぞ!」と、塾の先生に常々言われていたので、高校に入学する前は、ついていけるか本当に不安でした。
 先生の言われた通り、高校の授業が始まると、学校の予習復習、塾の予習復習が大変で、自分がどこの大学に行きたいかなんて考える余裕すらありませんでした。でも、とりあえずの目標として、東北大の農学部を志望にしていました。
 高1の夏、面談で転機がやってきました。「京大を目指してみろ」と言われました。「京大なんか行けるんか?」と思いましたが、それからは京大一本でいくことに決めました。
 そこからマイペースに勉強をこなしていくと、1年の最後には模試でB判定まで出せるようになり、「ひょっとしたら…」と、思うようになりました。
 もう一つ転機となったことがありました。僕は高1からZ会もやっていたのですが、進学講演会というのに参加したときの資料に、「OBからのひと言」というのがあり、そこに「合格より大きな目標を持とう!そうすれば、大学入試なんて余裕!」と書いてありました。これを読んでから、これを座右の銘として頑張ろうと思いました。
 高2の模試では、毎回の模試で京大A判定、高3の京大模試でもA判定がとれたので、「これからは、地球工学科に一ケタ順位で合格できるようにしよう!」という目標に切り替え、最後の追い込みに入りました。
 京大工学部は、センター:2次=3:7という比率だったので、多少センターは手を抜いても何とかなると思ったので、センター2週間前までは2次試験対策をしていました。そこから大急ぎで一番の課題であった、センター国語の対策に入りました。
 センターの結果は、ボーダーラインを下回りましたが、60点までのビハインドなら逆転できる自信があったので、実際11点のビハインドで押さえることができた時点で「受かった」と、思いました。ですが、目標はさらに上にありましたので、気持ちを緩めることは全くなく、前期試験前まで京大対策を頑張りました。

 そして本番…数学と英語はまあまあの出来でしたが、これまで得点源にしていた理科で失敗し、目標点を大きく下回りました。合格点をクリアしている自信はありましたが、大学入試は何が起こるか分かりません。前期のことは忘れ、すぐに後期に向けての勉強を始めました。
 運命の3月8日がやってきました。京大まで見に行き、自分の番号を確認したときは、ホッとしました。本当にこれまで頑張ってきて良かったと思いました。

 後輩へのアドバイスは、やはり早い時期から志望校を決め、それに向けて対策していくことが現役合格に近づきます。
 それと、バランスの良い学力が重要だと思います。飛び抜けた教科が無くてもいいから、全ての教科がある程度できるという学力を作っておけば、何かで失敗したときも他で取り返せます。僕も理科で失敗しましたが、英語で取り返すことができました。
 京大を受けたい人へのアドバイスとしては、基礎を押さえ標準問題を確実に解く学力を付けることを目標にやって欲しいと思います。今の京大受験生の大半は、難問は解けません。だから、基礎標準問題でどれだけとれるかで合否が決まります。(医学部は除く)

 最後に塾の先生方には本当に感謝しています。塾頭が中学のときあそこまで叱ってくれなかったら、絶対京大には入れていません。本当に7年間という長い間、勉強だけでなく、様々なことを学ばせてもらいました。
 ありがとうございました。