神戸大学 発達科学部

私が學進会に入ったきっかけは「共栄中に行きたい!」と言い出したからだそうです。小六の時、田中先生の算数の授業とPlus教室で主にお世話になりました。しかし、小一からずっと続けているバレエに専念したいという理由でやっぱり共栄中に行くのを止めました。中学生になったときも、最初の一ヶ月くらいは授業を受けましたが、バレエとの時間がかぶるということでPlus教室だけにしました。とにかくバレエ中心の生活でした。

 でも、私も予想だにしなかった…この生活を一変させることが起きました。高校に入って1~2ヶ月して「これはヤバイ」と思い始めました。勉強で初めて危機感を覚えました。そこから學進会の授業に入れさせてもらえることになりましたが…苦しい戦いが最後まで続きました。

 数学で言うと、塾で授業を受ける前…二次関数にはもう何度泣いたことか…。花田先生にCellを担当していただき、本当に苦手を潰すことができました。高校数学の考え方に全くついていけなかった私でしたが、少し掴めるようになってきました。
 しかし英語は自分の中で「これくらいしないといけない」とか、自分がどれほど無知であるのかにさえ気が付いていない状況で、今から考えると全然勉強量が足りていませんでした。

塾で授業を受ける前と授業を受けた後を比べて考えると、学進会で授業中に話していただける『今これをやっとかなアカンぞ』的なことや、受験についての知識などがどれほど貴重なことか…実感できました。

 そんなこんなで、高2の夏から受験勉強一本に切り替えました。でも、勉強したけどなんか知識がフワフワして自信がつかない状態が続きました。ストレスが溜まっていく中での解消法は、塾の授業中に笑ったり、友人や家族と話したり、踊ったりすることでした。

 英語の勉強にスイッチが入ったのは、高校3年生の講座選択の時に私のレベルを示していただいた時でした。このままだとひどいことになるという気持ちと悔しさと相まって、森口先生のアドバイス通りに高1~高2の復習と合わせてやっていきました。すると高2の冬ではセンター模試で5割くらいしかとれなかったのに、高3の夏頃には8割を超えるようになりました。
 森口先生の『あの雑学がふんだんに盛り込まれた授業を聞き逃すのはもったいない…。自分の常識にしてしまえ!!』くらいの感じでやっていくとイイと思います。
 林田先生は、授業中のちょっとした話によくツボりました。(笑)話し口調が面白かったです。

 国語では東先生のインパクトがすごくて、雰囲気が好きでした。先生の流れるような説明を聞く度に感動していました。同じように(←絶対無理ですけど)解くことを目標にしていました。

 理科は…もう本当に苦しみ続けました。(特に物理)理科の考え方がやってもやってもなかなか頭にスッと入ってこず、もう何度投げ出したいと思ったことか…。でも、高3の時は、物理を一番やっていたと思います。高2の時はある程度やっても分からなかったら放っておきました。この中途半端な姿勢が後に自分を苦しめることになりました。『なんかやるの嫌やな(;¬_¬)』という分野があったら、早めにその嫌な感覚を潰しておくべきです。桐村先生には、質問に丁寧に答えていただきました。

 数学は、中1の時に塾頭の授業を受けたときのことを良く覚えています。塾頭が教室に入ってこられたときに空気が変わりました。それくらいの存在感です。(^◇^;)
 勉強に関して言うと、塾のノートとテキストで十分です。やりこんで下さい。
 私は数ⅢCは理科と同様に???って感じでした。これもやりまくったら慣れてくるはずです。
 花田先生にはよく質問に行きました。話しかけやすかったです。田中先生は小6の時に授業を受けたのですが、よく通る声と、あのパワフルな感じが印象的でした。片山先生はAccelクラスの時にお世話になりました。塾頭の奥さんにかけていただいた言葉は不思議と心に残っています。

 センターの1日目の国語は思い出したくありません…。読んでも読んでも頭の整理がつかなくて…本当に焦りました。『半分無いかも…』(←実際に半分無くて、過去最低点)家でひとしきり泣いた後、「どうせ同じテストを受けてこれが結果になるんやったら、自分の実力が出せた方がイイやん」と、気持ちを切り替えて2日目に挑みました。友達と話すことで気持ちが落ち着きました。結果…国語以外はいつもと同じかそれ以上とれました。気持ちを切り替えることができてよかったと思います。

 センターリサーチは…予想していましたが…D判定。
 前期はセンターがどんな結果であろうと神戸大を受けると決心していたのですが、後期は悩みまくりました。自分の目指している勉強ができるところをシラバスや教授のホームページまでを探せるだけ探しましたが、納得できるモノは神戸大以外にはありませんでした。このときも塾頭には様々なアプローチから探していただきました。結局…後期も神戸(しかも学校で1~2回くらいしかやったことのない小論文での受験)という、なんとも無謀な勝負をかけました。

 2月には私大を受けました。『受かっても絶対にいかない』と思っていたので、英語以外は過去問をしなかったのですが…全落ち…(泣)…このときはある程度ショックでした。
 今までお世話になってきた先生方、親に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 そして前期…終わった瞬間に終わった…(泣泣)と思いました。家族の「もう小論やるしかないやん。出してしまったんやし。東先生に見てもらってきなん。」という言葉で、小論を書き始めました。東先生には、すでに月謝も払っていないのに前期の発表までに2回も添削していただきました。
先生の解説を聞いていると『やっぱりスゴイ』とあらためて思いました。小論を書いている以外は、東先生に書いていただいた答えの分析をしたり、過去問に出ている関係のある分野の本を読んだり、ダラダラしたり…して過ごしました。

 前期発表…不合格。(o_ _)o
 なんというか…例えようもないほど悔しくて、悲しくて、申し訳なくて…という気持ちでいっぱいでした。
 私大全落ち、前期落ち、後期は小論…『もうこんなん浪人でほぼ決定やん!!(泣泣泣) 後期E判定やし…』
 前期に落ちた日は、泣きに泣いて頭がクラクラしていました。この絶望状態から、塾頭の『ガンバレ』塾の友人の『入学式一緒に行こ!』という言葉と、家族の励ましによって、なんとか完全にとはいかないまでも次の日には3回目の過去問を解きました。これも東先生に無理を言い、添削していただきました。
 何もしていないときは…自然に涙が出てきました。

 後期…本番当日は、試験開始前東先生に書いていただいた小論の書き方と最後にもらった花丸を見て心を落ち着かせました。
 例年と傾向が全く違いましたが、教えていただいた通りの型で書くと、スラスラ書けました。30分くらいは時間が余ったと思います。

 後期が終わって発表までは、ひたすら浪人したときの姿を思い浮かべたり、予備校の資料を読んで申込書を書いたりしていました。だって…E判定かつ試験会場で受験者数を数えたら、倍率6倍ですよ。ムリですやん…。かつて無かったほどくらい日々を過ごしました。

 発表…『えっ…自分の受験番号…ある…えっ…ウソやん』3回ほどファイルを開き直しました。まさかの合格!でした。

 私は後期までの試験を全落ちしたとき、『全然あきらめてへんかった』というとウソになります。でもほんの少しの希望と周りの助けがあって合格することができました。本当に周りの人々に助けられての合格でした。

 学科試験を全落ちした私ですが、これだけは言えます。『基本の基本をちゃんとやっとけ。こんくらいでイイかな?とかいう浅はかなもんやと後で泣くことになるぞ』

 知識レベルの話で言うと、ある単語や用語が出てきたら、その説明ができることはもちろんのこと、周辺の知識をスラスラ言えて知識がつながっていくような感じにできたらイイと思います。

 模試の結果は私の敵でした。「勉強しているはずやのに…成績が上がらん…」と…。でもこの結果は自分の勉強してきた全てが出るわけではないけど、ある一部ではあるわけです。良くも悪くも現実を見つめて下さい。そこからどうすればいいかを考えはじめたら、一歩前へ進む準備ができているはずです。
 まあ、私のようにあまりにも上がらなさすぎて、前に進むエネルギーと自信を失い気味の人は、ずっと平行線でつらいかも知れませんが…階段のように『ポン』と上がる日を夢見て、ジッと耐えて下さい。
私は塾の数学のテキストを7回やって、やっと掴めるようになりました。入試までに10回以上はやったと思います。

 最後に…
 今までお世話になった先生方、友人、祖父母、父、母、兄、妹には本当に感謝しています。ありがとうございました。