関西学院大学 商学部  

小5から8年間、學進会には本当にお世話になりました。長い受験生活を終え、今はホッとしています。先生方に感謝を伝えるためにも、自分の気持ちを整理するためにも、この8年のことを振り返ろうと思います。

小中時代
 頭が冴えているわけでも、雑学に強いわけでもなかった私の唯一の自慢は、宿題ノートでした。この頃から反復は自分の中で当たり前になっていたと思います。小5のとき、模試の結果が上がったり下がったりしていた私の宿題ノートに田中先生が「3ヶ月後にはトップ争いに入る」と、書いてくれたのが嬉しくて、それを励みにがんばっていました。授業ノートを使って復習すること、これしか意識していなかったけど、この徹底が確実に力をつけてくれると思います。数学の授業はいつになっても緊張したので、自分の復習に自信を持って、堂々と授業に臨めることを目指して毎週過ごしていたら、気づけば成績が安定してきていました。
 中3の夏期講習が始まるとき、この夏はクラスで一番答えられる人になろうと決意していて、それができたかは分かりませんが、講習が終わった頃から『あ、前より賢くなってる』と思えることが多くなって、勉強が楽しくなってきました。楽しいからやる、ちゃんとやるから楽しい。どちらもあると思います。この時期に身につけた学力はもちろん、勉強の姿勢や集中力にも高校3年間は大いに助けられました。勉強に対して、これだけやって当たり前という状態で高校生になれて良かったです。

▽高校の勉強

国語
 高校生になってから話題についていけなくなることが増え、得意なんだか苦手なんだか…なかなか点数が安定しませんでした。記述模試でフィーバーしたのは、ハイレベル国語の予習に情熱を注いでいて、授業で使った動き方で絶対に自分のできるところまで考え抜く、を徹底していた時期です。国語に限らずですが、特に高3の勉強は、予習の段階で耐える時間をちゃんと作ることが確実に自分を強くしてくれると思います。高3では現代文が伸びた実感があって、夏休みにくらいからハイレベル国語で当てて欲しい、私に説明させて欲しい、と思えるくらいになりました。答えに自信があるわけではないんですが、自力でここまで分析したあと今の情報から先生がなにを考えるのか聞きたくて、いつも刺激を受けながら、楽しみながら授業を受けていました。

▽英語
 長文読解は、読み方を意識するようになってから「今日の教訓」コーナーを作りました。ハイレベル英語ではじめ全然正しく読み取れなくて、これはヤバいと思いました。でも同じ長文にはきっと2度と出会わない…だからこそやるべきは、自分が読めなかった原因を言葉にして残すことじゃないかなと思います。「副詞のかけ方やカンマの意味を吟味せずにとり違える。」とか「対比が追えない」とか、単純ですが、自分が読めなくなる原因はいくつかにパターン化できます。私には5~6パターンあったので、読んでいてシックリこなくなってきたらその教訓を思い出して、詰まる理由を考えるようにしていました。
 あとは、知識が出てくるたびに『これは以前に答えられなくて悔しかったヤツ」とか「この覚え方は面白いな」とか「3つめの意味は覚えにくいなー」とか、いちいち感想をもつことでその知識との距離感が掴める気がします。特に印象が薄くて覚えにくいものは、『今日の教訓』ばかりをストックした紙に一緒に書いておいて、時間がないときも最低限それだけはチェックしようと決めていました。

▽数学
 中学の時から難しさにヒーヒー言いながらも◎シリーズを確実に覚えて、先生の頭の動かし方を着実に実践するとできるようになっていく手応えも感じていて、得意とは言えないけど好きな教科でした。ポンコツすぎたのは数ⅡBです。問題は解けるけど、何か大切なことを意識できていないような感覚があったり、少しかみ砕けば標準レベルなのに、見たことのない難問に見えて固まってしまったりする時期も数ヶ月ありました。調子が悪い時期に何度も痛感したのは、題材レベルの問題を確実にできるようにすること。そのポイントをいつでも引き出せる状態をキープすることの大切さです。ノートを○冊つぶすことよりも、時間がかかったとしても勉強した後に自分がしっかり理解できた感覚を持てるようにすることが大事だと思います。あとは、用語の意味を一息で言えるようになるまで覚えることも必要でした。高3の1年は、VS自分のメンタル、VS数学がメインだった気もします。

▽理社
 例えば、倫理政経でユビキタス社会を覚えるとき、ユビキタスって英単語かな?と思う。調べたらubiquitousという形容詞と同じだと分かって、どっちも忘れない…みたいに、科目間の壁を高くせず、興味を持って知識を吸収すると得すると思います。

▽高校生活
 私は吹奏楽部との両立という道を選びました。決して楽ではないことは分かっていて、それでも勉強を絶対に疎かにしないと覚悟を決めて始めましたが、やはり時間の確保の難しさは相当手強いものでした。ちょっとキツいくらいを自分の当たり前のペースに組み込むことが、両立の秘訣かな?と思います。私は高1の間に勉強を軌道に乗せられたからこそ、部活にも熱中できた気がしています。
 それから部活では部長をすることになりました。部員50人の前に立つ経験は、私のお豆腐メンタルを何度もえぐりましたが、今ならそれもプラスの経験になったと思えます。部活がなかったら、こんなに悩むこともないんじゃないかと思ったことも、辞めようと思ったこともありますが、部活が上手くいかないときは、そのモヤモヤを勉強に注ぐエネルギーにしていました。気弱になったときは、自分が苦労して克服した数学の問題を超スマートに解き直し、自信を取り戻すという生産的な立ち直り方、オススメです(笑)

 引退して自分が失ってきた時間の大きさを再認識したとき、気づいたのは、自分が両立しながら今の成績を維持できたのは、塾を信じて迷うことなく最短距離を走れていたからなんだ、ということです。もちろん楽だと思ったことはないですが、それでも楽しく過ごせていたのは、塾の授業が好きだったからです。忙しいときも、今手を抜いて力が落ちたら自分が楽しくなくなる…それは嫌だ、と気持ちを奮い立たせていました。落ちたときに、頑張りきれなかった心当たりがあるのは絶対嫌だったし、長い間塾で鍛えてきた国数英に最後までこだわりたい気持ちもありました。受験にハンデを負うことは覚悟して、自分で吹奏楽をやると決めて、部活と勉強のどちらも最後まで自分を律してやりきれて良かったと、心底思っています。
 難しくても耐える、やらんなんことはやる、というのは習慣だったので、キツいのは確かでしたが、勉強に少し手応えも感じながら生活していました。
 本当にキツかったのは、ここからでした。秋ごろ急に下がり出す模試結果…次で挽回…の次がもうなくなってくる焦り…そして受験期が始まります。

▼受験期
 受験期はなにが起こるか分からない、とよく聞きますが、ほんとでした。1月2月は本当にいろんなことが起きました。
 私はセンター6日前、10年ぶりにインフルエンザになりました。体調管理は割と特技だと思っていたので、人生初の40度を計測したときは、しんどさより衝撃で震えました。
 私大入試では、80分間お腹が爆音で鳴り続けました。これは他者を威嚇、牽制するための自分の武器だ、そう思おうとしたけど恥ずかしすぎて無理でした。
 2月はXY平面に立ち尽くす夢や法線ベクトルが腕に刺さって抜けなくなる夢も見ました。淡々と過ごす振りをしていたけど、自分の意識している以上に神経がすり減っていたんだと思います。

 なんとかセンター試験を乗り越え、迷った末に第一志望だった阪大の経済学部に挑戦することに決めました。そこに行きたい気持ちは強かったものの、出願した頃は受かる自分が想像できず、リスクもあるが可能性もあると言ってくれる人たちの言葉に逆に驚いている自分がいました。でも1ヶ月必死で勉強して、試験中に1ヶ月前よりも堂々と答案を作っている自分に気づき、試験直後は挑戦して良かった…という気持ちでいっぱいでした。
 結果はダメでしたが、出願校を決めるとき背中を押してくれた先生方や家族には感謝しています。
 これから受験する人は、リスクを背負う覚悟を決めたなら、受かる自分を強くイメージして、毎日努力することも大切だと思います。

 2人の明暗が分かれちゃったので…せっかく片っぽは受かったのに、バンザイできない家族には、そんな気を遣わせたくなかった…と、悔やまれます。でも、片っぽ受かったってことは、きっと私の挑戦も無謀ではなかったんだと思うと少し勇気も出るし、今まで一緒だったから頑張れたところも大きいと思うから、祝福の気持ちです。
 もうワンランク下げてたら受かってたのかもしれないけど、それも言い切れないわけで…それなら本気で行きたかったところに全力でぶつかった自分の選択は正解だったと思っています。
 8月まで部活をしていたことは、確かに大きなハンデでしたが、自分が入試に勝てなかった原因をそこに求めたくないと強く思います。

 とはいえ…不合格のショックは壮絶でした。自分の番号がない。合格点に達しなかったという変えようのない事実を受け止めるしかなく、今まで応援してくれた人の顔が次々と浮かんで、申し訳なさで頭がいっぱいでした。何回も今日で立ち直ろうときめて、1日過ごすけど、しばらくは朝起きるたびにちょっと悲しくて、今日で終わりと決めて…の繰り返しでした。
 家に阪大の合格通知や大学生協の案内が届くけど、どれも自分宛ではなくて…そういう結末も覚悟で受験したはずなのに、こんな辛いのありかよ~~って、叫びたくなりました。
 どこか緩んだ時期があったのかな?と、今まで使っていたノートを見返したりしたけど、どれも忙しくても手を抜いてはいなくて、部活してるとかしてないとか関係なく、たぶんその時できる最大のことをして3年間過ごしてきました。そう思えます。だから自分の3年間の過ごし方に後悔はありません。私の高校生活にとっては、吹奏楽に打ち込んだことも、塾で真剣に勉強したことも、今思えばどちらも同じくらい価値のあるしんどさで、充実した時間でした。

 泣きすぎて顔がふやけるかと思ったし、今まで経験したことのないくらい辛かったから…これから真っ白な数百点を自分で掴むみなさんには、経験して欲しくないですが、万全の準備をしたからと言って結果がついてくるとは限らない。だからこそ、どんな結果になっても自分の3年間の過ごし方には、後悔しないようにがんばって下さい。

先生方へ

塾頭
 先生の授業は、受け終わるたびに「今日賢くなったな~」と思える授業で、大好きでした。いつも少し緊張していて、少しワクワクもしていました。先生の授業を楽しみながら、でも必死で追いかけるうちに自分が鍛えられていったことを実感しています。
 前期の報告をしたあと、辛いときも先生の説得力のある言葉を支えになんとか踏ん張ることができました。最後の最後…「よく頑張ったな」と言って握手してくれた先生の表情を思い出すだけで…今も泣きそうになります。待っていてくれて、ありがとうございました。

花田先生
 高2から英語でも数学でもお世話になりました。先生の授業はずっと一週間の楽しみで、爆笑した思い出が多すぎて、そのうえメチャメチャ分かりやすくて、もう授業を受けられないと思うと、大学生になりたくない気さえします(笑)
 英語そのものが好きと言うよりも、先生から習ったことがいろんな場面で役に立つのが嬉しくて、楽しかったから、暗記も頑張れたし、長文読むのが好きでした!

東先生
 先生は尊いなぁってずっと思ってました。小学時代から先生の国語を受けられたのは、どれだけ贅沢だったんだ!と、今ひしひしと感じます。高校生になってから国語の点数の波はなかなか消えませんでしたが、自分の上限を大幅に上げられたことだけは確信しています。天然で国語ができるわけではなかった私の国語力は、先生から教わったことが全てで、たぶん今ピークです。8年間で授かった国語力で一生生きようと思います!

栗林先生
 英作文でお世話になりました。授業が終了してからも、2次の過去問を持っていくと、毎回丁寧に添削して下さって、些細な質問にもたくさん答えてもらって、本当に感謝です!
 案外上手くかけないし、難しいと感じた英作文ですが、先生のおかげでいつも楽しく取り組めたし、最終的には得点源にできたと思っています。

林田先生
 高1Fitでは強烈なゴロと絵をたくさんありがとうございました!独特のスピード感と語り口が印象的で、先生のよく言っていたゴロや文法事項は、もはや一生忘れられないし、林田先生以上にユニークな人には一生出会えない気がします!(笑)人間国宝ですね。

おくさん
 ほくろが違う!笑顔が違う!と、いつも双子を正しく見分けてもらえて嬉しかったです(笑)2人でまた来るので、当ててて下さいね!いつも元気をくれて、ありがとうございました!

森口先生
 先生に教わる雑学を家に帰ると姉妹で我先にと競って家族に話していたのが懐かしいです。先生にコメントしてもらった宿題ノートは、まだ大事に持っています。後輩になる夢は叶わなかったんですが、高校では英語が得意科目になりました!中学3年間、先生の授業を受けられて、本当によかったです。

 全ての努力が報われたと思える瞬間が…来て欲しいときには来てくれなかったからこそ、また次に向かって自分を奮い立たせてやるしかないなと思っています。
 3年間これだけやれたんだから、どこに行ってもきっと頑張れるような気も少ししています。勝ちきれなかった悔しさと、良い報告ができなかった申し訳なさは、なかなか消えませんが、この経験を糧に成長できる4年間を過ごす決意は固まりつつあります。
 今、早く新しい勉強を始めて、何か実らせたくて仕方ありません。

 塾に帰れば、自分の努力と実力を長い間見ていてくれた人がいる。そう思うだけで、新天地でも頑張れそうです。
 行き詰まったら、また帰ってこようと思うので、その時は励まして下さい。(笑)

 8年間勉強を頑張りたいと思い続けられたのも、それを楽しむことができたのも、學進会にいたからです。
 惜しみなく力を貸してくれる先生方と切磋琢磨できるライバルに囲まれて、これ以上ないくらい恵まれた環境で勉強させてもらえたことに、心の底から感謝します。

 もう通わなくなるのは寂しいです。

それでは…明るく入学式に行ってきます!