和歌山県立医科大学 看護学部

この合格体験記を書くことができ、嬉しく思います。

 私はセンター試験で思うような結果が出ず、第一志望の大学を受けることが難しくなりました。ずっとその大学を受けることしか考えていなかったので、センター後は落ち込んでいました。
 でも、塾頭と話をし、他の大学を受けることにしました。私の家は何故か、近畿地方の大学じゃないと行かせてもらえなかったので、近畿地方の大学で受験校を決めました。
 付属病院があるか?看護師以外の資格(保健師、養護教諭)がとれるかなどを調べ、自分のとった点数で決めました。
 正直なところ、センターで失敗したのでもう怖いと思い、ボーダーギリギリの大学に出す勇気はありませんでした。

 その後、2次対策の小論を始めました。しかし、やるしかないと思いながらも、今までやってきたような答えのある問題ではなかったので、「こんなん書いてどうなるんやろ?」と、思いながらやっていました。
 センター試験後から合格発表まで、本当に、不安で仕方ありませんでした。

 そして、合格発表の日。
 パソコンで自分の受験番号が目に入ったときは、身体がゾワッと震えました。涙が止まらず、本当に嬉しかったです。
 いろんな人に報告しましたが、自分一人だけじゃなく、沢山の人に支えられていたんだなあと思いました。合格したから思うのだろうけど、これで良かったんだと心から思いました。
 合格するってこういう気持ちなんや…、とても気持ちいいです!

 受験のことはこれくらいにして、學進会で過ごした約6年間を振り返りたいと思います。ちょっとはこれから受験する人にアドバイスも書いたので、良かったら読んで下さい。

 私は、中学1年の途中から学進会に入りました。中学時代の想い出は、クラブとの両立がメッチャ大変だったことです。
 私はバスケ部でしたが、毎週休みが無く、部活をやりながら授業を受けるのはしんどかったです。でも今思えば、バスケをしていた中学時代の方が、高校時代より集中力があったと思います。
 あれだけ苦しかった部活も、時々やりたくなりますよ。両立は大変だと思いますが、いい想い出になるので頑張って下さい。

 また、理科の授業も想い出です。この授業は、クイズ!ヘキサゴンなみのおバカな解答ばかりでした。みんな一般常識がなくて、塾頭はもう呆れていました。(もちろん、前の授業でやったことを覚えていないときは、激怒されますよ。)
 K君は、「お前は、何類なんや?」って聞かれて、「魚類?」って答えてたし(それ以来、K君のあだ名はギョルイになりました。)
 「ウミネコの絵を描け!」って言われたときは、沢山の迷画伯が生まれました(笑)とにかく笑いすぎてお腹が痛かったです。
 この授業のおかげで、色んなことに興味が湧きました。中学生の時は、緊張感も大切ですが、授業を楽しむことが第一だと思いました。基本、明るく元気だったら、學進会では、間違えても笑いになります。私の解答がお馬鹿すぎたのかも知れませんが、当てられて黙っているくらいなら、先生の顔を見て、間違い覚悟で何かしゃべってみて下さい。

 高校生になると、授業についていくのがメッチャ大変でした。何とかなると思って勉強していましたが、何とかしなきゃと思い始めました。
 「明日やろう!は、バカ野郎!!」聞いたことのある人がいるかも知れませんが…この言葉を机の上に貼っていました。この言葉を見ると、意外と「今日はイイか」と諦めてしまうことが多いことに気付きます。そう思うとき、「あと一問やろう」とか「単語1つ覚えよう」とかすることが大切です。
 でも、こういう大切さは受験が終わってみないと分からない事なので、これから受験をする人には少し覚えていて欲しいなと思います。

 あと、森口先生もよく言われましたが、ストレス解消法を見つけておくコトは大切です。私は、「例の3人組」と言われれば分かるほど、高校生の時、特に仲の良かった友達がいます。私は、その友達としゃべることがストレス解消法でした。
 塾の下で女子高生3人がしゃべっていると、オバサンの井戸端会議扱いされましたが…(泣)
 その他にも、バスケ、早起き、漫画、料理など沢山のストレス解消法を持っていました。勉強ばかりじゃしんどいので、自分が楽しめる時間を作りましょう。
 そして、自分の目標に向かって頑張って下さい。

 私は學進会で沢山のことを学びました。勉強は大変でしたが、とても良い想い出が沢山できました。お世話になった先生方、本当にありがとうございます。
 大学生活を思いっきり楽しみ、そして、社会に貢献できる保健師になります。

 最後まで読んで下さって、ありがとうございました。