同志社大学 工学部

私が學進会にお世話になり始めたのは中学3年生の時です。共栄学園に通っていて、学校の授業が早いため、入塾したときから一つ上の人達と授業を受けていました。そのおかげで、他の人よりも早く受験というものを意識できていたと思います。
 それでも学校の授業と塾の授業を比べると、塾の授業の方が圧倒的に早く進んでいきました。中3の頃はそれでも何とかついていこうと必死でしたが、高1の頃、少し気を抜いた時期があり、塾の授業についていけなくなったことがあります。それを実感し、おいて行かれた分追いつこうとしましたが、その間も塾の授業は進み、更においていかれるように感じました。
 学校の授業においていかれるわけにはいかないと思い、学校の授業速度に合わせて、學進会の教科書、ノート、プリントを塾から見れば復習、学校から見れば予習というスタイルをとり、学習を進めていきました。
 そうしている内、高1が終わり、高2の授業選択…塾では高3の人と同じ授業を受けることが可能なのですが、とてもついていけないだろうと判断し、数学2コマ、英語1コマにとどめました。そして授業を少なくした分、家で中3の頃からの授業ノートを取り出してきて、理解しようと一生懸命になっていました。
 高2の夏休み頃は、数学が理解できるようになりたいと思い、必死にひたすら、塾の問題を解いていた記憶があります。数学の学習にも興味が持て始め、数学の学習は習慣化しました。それでも、その成果が表れたのは冬…12月くらいからです。それまで成績は全く伸びず、むしろ数学に興味を持った分、勉強しなくなった教科の成績が下がっていき、このままでいいのか?と悩んだ時期もありました。その分、成果が出始めた時の喜びはとても大きなものでした。

 3年生になり、ついに受験生という呼び方をされるようになりました。2年の時に授業をとらなかった分、3年生で沢山の指導をいただこうと思い、かなりの量の授業をとりました。
 ほぼ毎日塾へ通い、家では理科の勉強も始めました。そのせいか、英語・数学にかけるための時間がなくなり、2年生の時ほど数学の勉強をすることができなかったように感じます。
 それでも2年生の時の数学集中勉強と塾の指導のおかげで、数学の成績は最後まで伸び続けました。加えて、理科の成績も少しずつですが上がり始め、受験を乗り越えるための準備はできていきました。
 ただ、国公立理系志望の私にとって致命傷だったのが、センター試験で必要な国語と社会の存在でした。嫌いな教科はやはり伸びず、最後の最後までどうすることもできませんでした。
 結局本番のセンター試験でも、国語と社会…特に国語が敗因となりました。私のセンター試験は、目標より100点も下…今まで受けてきた模擬試験と比べても、最悪の点数となり、私の目指していた神戸大学は諦めざるを得ませんでした。
 「2次レベルはクリアしとんやけど、センターの結果がな~」と、悔しそうに言う先生…、やはり国立入試はセンターが大事ということを思い知らされました。
 だからといって、落ち込んでいる時間もなく、センターからしばらく考え、親とも話し合い、結局国公立大学は受験せず、私立の入試に向けて勉強することにしました。

 私大入試は、立った10日間という期間に、私が出願した5つの入試が終わり、他の人よりも一足早く受験が終了しました。
 その5つの私立入試の内、一番自信を持っていた滑り止めの大学に落ちたと知ったときは、ひどくショックを受け、浪人という言葉が頭に浮かびました。それからしばらくは、自分は浪人が決定したと思い込み、家族の間でもそういう話が進んでいました。
 だから、その後受けた4大学の中で、第一志望としていた大学に合格したという通知をもらったときの嬉しさは、言い表せません。ただただ嬉しかったのです。
 先生が、「自分の行きたい大学に受かったとき、今までで一番の喜びを得る」と、おっしゃっていたのが、私にも分かる気がしました。

 結局残りの大学にも合格していて、私はセンターで失敗したけれど、私大の第一志望から第四志望まで全て合格!!という結果を残すことができ、今はとても満足しています。
 「あの時センターで失敗していなければ…」と思うと悔しくもなりますが、センターを大失敗したからこそ、国立を思い切って捨て、難関私大に合格できたんだと思います。だから、私が行くと決めた大学に後悔は持っていきません。むしろ、これから始まる大学生活が楽しみでなりません。

 最後に、私の大学合格という目標のために、様々な知識を授け、指導し、力となって下さった先生方に深く感謝します。お世話になりました。そして、本当にありがとうございました。