北海道大学 総合入試理系

 僕がこの塾に入塾したのは、忘れもしない中学一年生になる前の春休みです。なぜ入ったかというと…小学時代、田舎の小学校であるにも関わらず多くの生徒が何かしらの学習塾に行っており、そんな中で僕は、塾に行っていないけれどけっこうできる方(大きな勘違いだったことがあとで判明)だったので、『これで塾に行ったら、かなりかしこくなるぞ☆』というアホ丸出しの理由で塾に入ることを決意しました。

 入ると意気込んだものの、學進会は三月から新年度がスタートするので、少し乗り遅れてしまった僕は、今はもう無くなってしまったのですが、『追っかけ講座』というスタートに乗り遅れてしまった生徒を対象にした授業から参加しました。
 担当講師は、塾頭である西田先生、副塾頭である森口先生、しかも受講生は二人というとんでもなく贅沢であり、塾側にしてみればコストパフォーマンスの悪い授業でした。
 ウワサに違わず、授業は厳かな感じでした。しかし、それだけでなくユーモアに溢れていて、夢中で授業を受けて、毎日自宅で家族にその日の授業を報告していました。これがしばらくして姉が入塾するきっかけにもなりました。
 無事追っかけ講座も終了して、自分の中ではそれなりにやってのけた感じがありましたが、あとでお二人の先生に伺ったところ、相当ひどかったそうです。(ノД`)それにも気づかないくらいおバカさんだったようです。

 その後通常授業に参加し始めました。十人以上の生徒がキチンと先生の話を聞き、きちんとノートをとり、問題に必死に取り組む姿は、当たり前ではあるものの、その当たり前のことが普通に出来ていることに圧倒されました。そんな中で何とか食らいつこうと必死でした。
 しばらくして、がむしゃらに頑張ってきた成果が現れ始め、中三になる頃にはそれなりの学力を手に入れていたので、福知山高校の文理科学科を受験することになりました。試験会場に學進会の生徒がたくさんいて安心感があったり、国語の古文が講習会とまるまる同じ文が出題されたりするラッキーな状況で受験を終え、無事合格しました。さらに開示が出来ないので順位は不明ですが、よい順位で受かり、入学式の新入生代表も務めることが出来ました。本当に順風満帆のように見えますが、このことが入学してからの少しの苦悩の種となりました。


 學進会では高校が始まる前から高校の勉強が始まったのですが、始まってすぐに高校の勉強は大変だと言うことを思い知らされました。その膨大な量などもですが、高校の勉強と中学の勉強との大きな違いは『理屈っぽさ』だと思います。
 数学で言うと、中学では補助線の引き方が難しさの主体だったりするのに対して、高校では集合論や論理だけで入試問題が作れたり、それを理解していないと零点の答案になってしまったりするように理屈が重要になったように思います。
 英語も語法だったり構文だったり、規則がいっぱい出てきて慣れるまで大変苦労しました。

 そんな高校の勉強に慣れるまでに学校が始まってしまい、福高のお家芸のプリント攻撃が始まりました。『提出しないとみんなの前で謝罪会見』という小学校の時に聞いた『勉強は他人のためじゃ無くて自分のためにするんや』という明言も一切無視した決まりに怯えながら、適当にやって学校に提出していました。

 さらに塾の先生方は、オール3だった僕の学力を知っておられるので、僕の素地がそれほど高くないことも分かっていらっしゃいますが、学校の先生方は、良い成績で入学した僕しか知らなくて、過度な期待をかけられてしまいました。
 いつもヘラヘラしている僕でもちょっと大変で、顔にフキデモノが増えました。ゴールデンウィークを過ぎたあたりの担任の先生との面談で「英語を見ると気持ち悪くなる。」と言うと、英語担当である担任の先生にはプリント提出をしなくても許してもらえるようになりました。
 課題が減り、ノビノビしてきた僕は、塾の勉強により力が入ってきて、春に50だった数学の偏差値がグングン伸びて秋には学校でトップクラスになりました。そして、学校の数学の先生にも文句を言われなくなり、より塾の勉強に集中できるようになって、学力も安定してきました。

 高2の春になり、塾頭面談で大きな転機が訪れました。塾頭に「もう少し視野が広がってから学科は決めたいので、理学部で入ってあとから学科を決められる大学にしたいです。」と伝えると、北海道大学を提案してもらいました。
 今、北海道大学は総合入試制度というものを導入していて、二年生から学部を決められるので、後からもっと自由に決められることが分かりました。

 母も僕も考えてもいなかったところが話に出てきてビックリでしたが、塾頭の息子さんが北海道大学に通っていらっしゃることから、詳しく魅力的な話を聞くことができて、もうその気になってしまい、夏休みを利用して一人で北海道を訪れました。
 『大都会である札幌のど真ん中にある緑がいっぱいの場所。』それが北大の印象です。その緑と歴史ある建物が見事に融和していて、『こんなところで大学生活を送りたい』と思いました。
 残念ながら時間の都合上、北海道に滞在できる期間は限られており、ほとんど札幌にいたので、北大の記憶と行き帰りのフェリーの記憶しか残っておりません。でも、北大の記憶が大きく残っていたことが、長い受験勉強の活力になりました。
 みなさん、少しでもよいと思う大学があったら、ぜひ訪れてみて下さい。決して損にはならないと思います。

 志望校が決まり、そこへ向けて一直線だったのですが、二年生では理科が大変でした。前半は物理に苦しめられ、後半は化学に苦しめられました。物理は最初『わけワカメ』の学問でした。しかも桐村先生がとっても恐くて、どうしようかと思いました。
 しかし今考えると、物理はあの苦しかった最初が全てだったんだなと思います。あの最初の苦しささえ突破できれば、後はどんどん分かってきて楽になってくる。だから桐村先生が特に最初に力を入れていらっしゃったんだと思うと、今は納得できます。
 物理の勉強を始める人達に少しアドバイスが出来るとしたら、『分からなくてもグググッと我慢して進んでいくこと』だと思います。分からない事が後からジワジワ分かってくるということは、案外多いと思います。
 それと物理はけっこうお得な教科だと思います。僕は化学との比較しか出来ませんが、覚える量は格段に少ないです。覚えることがダメな人や数学が好きな人には特に選択することをオススメします。


 三年生になり、塾で受講する講座数が増えました。学校で他の塾の子達と比較しますが、これだけ豊富な講座数があるのは學進会だけだと思います。そんなたくさんの授業を受ける中で、バランス良く学力も伸びていきました。

 夏に入り、福高祭の応援リーダーになりました。責任があるので塾の夏期講習より優先しなければならず、とても塾の先生には言いにくかったのですが…応援リーダーの集いの後、塾に行くと『踊ってみいや』と、冗談を言ってもらったりしたのがとても嬉しかったです。結局上手く予定が合い、それほど講習会に支障が出ず、応援リーダーも務められ、とても良い経験が出来ました。

 秋になり、大学別模試が始まりました。
 『學進会の生徒は大学別模試に強い』と、聞いていましたが、本当に強かったです。成績優秀者の冊子に知っている塾の生徒が載っていることも多く、僕も載ったりして有頂天になっていました。
 先生達に何度も言われていて、自分でも分かっていたつもりだったのに、『模擬試験なんて必要条件にすぎない』と本当の意味で知ったのは、二次試験の後でした。

 冬になり、体調も万全のまま第一関門のセンター試験を迎えました。学校の友達も塾の友達もたくさんいて、緊張はしませんでした。
 結果は文系科目で瀕死状態ながらも理系科目に助けられたという形でした。全体的に難化したようで、踏み留まった僕は悩みながらも塾頭と相談の結果、『可能性のある限り北大に挑戦しよう』と言うことで、前期後期ともに北大に出願しました。

 二次試験までの勉強はもちろんツライのですが、學進会では二次試験に照準を合わせて学習してきました。あの苦手な地理も、国語も、そして穴埋め形式も入ったセンター試験に比べると、たった四教科…しかも数学と物理は嫌いじゃ無いので、勉強はやりやすかったです。
 そして直前には、やり尽くした感もありながら、みんなより一足早く塾に「いってきます」と告げ、札幌入りしました。
 夏と違う冬の北海道はどうかなと思っていたのですが、雪化粧をした北大校内に夏よりも魅力を感じてしまい、北大への思いは一段と強まりました。
 入試直前だからといって部屋に籠もりすぎるのは精神衛生上よくないと聞いていたので、志を同じくする學進会の仲間と札幌の街で毎食をともにし、リラックスして入試までの二日間を過ごしました。

 入試当日…一切緊張することなく本番を迎えました。『やってやるぞ』という気持ちしかなく、少しワクワクしたのも覚えています。あれだけビビリだった僕がそんな感情を抱けるまでに成長したことは、今でも信じられません。でも確かにそう思いました。長い間の苦しい勉強も捨てたものじゃないですね。
 試験時間はあっという間に過ぎました。微妙な手応えのまま試験会場を去り、その日はいつものように札幌駅の中でごはんを食べました。夜、北大は予備校の解答速報がかなり早く、答え合わせをすることが出来ました。本番あれだけ緊張しなかったのに、答え合わせは胸がドクドク鳴るなんてもんじゃなくて、震えるのを感じました。答え合わせをしてもやっぱイマイチで、複雑な感情のまま帰路につきました。
 帰ってくるといっそう不安が増してきて、本当に不安に飲み込まれそうになってきました。しばらくして、もう心が押しつぶされそうになってきたので、塾に話しをしにいきました。
 塾頭は、今までに見たことがない表情で、淡々とこれからすべきことを言ってくださいました。そんなに特別なことはおっしゃらなかったです。ただ、僕のオール3から北大を受けられるまでになった学力、性格を知っておられる先生の言葉は何より重みがあって、暗闇の中の灯りみたいにこれからすべきことを明らかにしてくれました。僕にアドバイスをくださってすぐに、新年度の教科書仕分けの指示を再開された先生の姿を見て、『僕も先に進むしかない』と思いました。
 それから、物理的には何も変わらないはずなのに、今までの人生で一番長い一週間を勉強したり、時にはゴロゴロしてしまったりして過ごしました。

 合格発表当日…緊張のあまり歯磨きを何度もしたり、母の使っていないダイエット器具を使ってみたり、発表ギリギリまで奇怪な行動をしていましたが、ついにインターネットに合格者番号が掲示されました。
 自分の番号を見つけたときは、自分の声とは信じがたい声が出ました。朝の9時半に我が家に強盗が入ったと通報されそうなくらいの絶叫でした。すぐに家族の元に行き、喜びを分かち合いました。
 塾に報告に行くと、塾頭が『うぉっし』と言って、強く握手してくださいました。その後各先生方にも報告しました。その中で花田先生が印象に残っています。いつもクールな先生が、一年間担当していただいた中でも見たことないくらい高いテンションで喜んでくださっている姿を、本当に有難く感じました。


 この塾には、本当に素晴らしい先生が揃っていると思います。
 群を抜くカリスマ性を持つ塾頭の西田先生、英語だけでなく幅広い教養のある副塾頭の森口先生、生徒を含め誰よりもパワフルな田中先生、スゴイ洋服を素晴らしいスタイルで着こなす東先生、喋り口調とギャグが独特の林田先生、恐そうに見えて面白い話を沢山してくださる桐村先生、優しさとギョッとするスルドイ観察力を持ち合わせる片山先生、信じられないくらい素晴らしい頭脳を持ち、信じられないくらい汗っかきな花田先生。

 そんな個性的な先生方全員が、最高に分かりやすい授業を展開するこの塾は、勉強するには最高の環境でした。

 そして、いつも明るく、優しく、ときどき生徒を叱るみんなの塾でのお母さんのような塾頭の奥さんには何度も激励の言葉を頂きました。

 そんなこの塾でお世話になれた自分は、本当に幸せだと思います。六年間ありがとうございました。